心の病

心の記録 

今日は一日中雨降り。

なんだか気分が晴れません。

雨のせいかもしれない。

人間の体はそんなふうになっているものらしい。

元々の性格とか、環境とか、

人によっていろいろだとは思うけど

心は結構かんたんに壊れてしまうものなんだな。

自分はわりと明るい性格だし、

こだわりもそんなにないし、

結構いい加減なところもあって、

全然几帳面じゃないし。

悩みを聞いてくれる友達もいっぱいいるし、

なんなら相談されるほうだし。

だから、うつとは無縁。

そう思っている人こそ、

時々本当の自分に声をかけて

解放してあげてほしい。

あなたが本当の自分と思っている自分は

他人に見せている自分であって

本当の自分じゃないかもしれない。

なんかまわりくどい言い方になって

しまったけれど。

実は私もそうだった。

これ、っていう原因があった訳じゃない。

今思えば、後付けの理由はいっぱいある。

だけど、突然足元の地面が崩れたみたいに

わからなくなってしまった。

私が人に見せていた自分は、

こういう自分でありたい、

他人にはこう見られたいという

理想が入っていたと思う。

こんなことを言ったらこの人を困らせる、

怒られるかもしれない、

波風立てて居心地悪くなるくらいなら、と

無意識のうちにガマンしてきたことや、

飲み込んだ言葉を見ないふり、

聞かないふり、感じないふりしていたことが

いっぱいあった。

初めは意識してやっていたのかもしれないけど

だんだん普通になっていた。

こんなことはね、私だけじゃなくて

みんなが少なからずしてきていることだと思うの。

小学生の頃「道徳」って科目があったでしょう?

人として・・・みたいなことを習うやつ。

誤解を恐れずにいうならば

ガマンすることは美徳だと習うのです。

特に日本人は聖徳太子の昔から

”和”を大切にする民族と言われています。

”和”のために、ガマンをする、

ある意味それは正しい。

大統領や首相がガマンできない人だったら

もっと世界は戦争だらけになるでしょう。

それから ”簡単に弱音を吐かない”

辛抱は美徳。

これも間違いじゃない。

でもどんな時でもガマンすればいい訳じゃない。

でもさ、ガマンしちゃうんだよねぇ。

偉いね!って言われたいから。

他人からも、自分からも。

他人に見せている表向きの自分って

こうありたい!っていう

自分の理想は入ってるんだけど、

実は理想の自分はもっと高いところにあって

今の自分はそうなりきれていない。

だから表向きの自分は理想の自分とは違う。

本当の自分とも違う。

何十年もガマンすることが普通で過ごしてきた結果

何かの拍子に突然心のバランスが崩れてしまうことがある。

心にとっちゃ長年の積み重ねで、

全然突然じゃないのかもしれないけれど

でも、意識下では突然。

もちろんみんなに起こる訳じゃない。

理想の自分と、他人に見せている自分、

それから本当の自分が

暗闇の中で

バラバラになって

体の中に存在しているような感じだった。

私の場合は。

自分がどこにいるのかもわからない。

立っているのか座っているのかもわからない。

動き出そうにも真っ暗闇だから、

どっちへ歩き出せばいいのかもわからない。

光は全く見えない。

怖い。

怖くて声も出ない。

足元は崖かもしれないし、

手を伸ばしたら変なものに触るかもしれない。

私の場合はそんな感じでした。

だから・・

本当の自分の声を聞いて、

姿をちゃんと見てあげてください。

しなくていいガマン、してませんか?